ピンクとグレー(単行本)

曖昧な世界の中で」 かの

 

 初めて『ピンクとグレー』を読んだ時の衝撃を今でも覚えている。
 当時中学1年生だったわたしはNEWSを好きになったばかりの頃だった。わたしは彼のファンである前にかなりの読書家で、毎日図書館や本屋に通うくらい毎日が小説で満たされていた。そんな中好きになったNEWSに本を書くメンバーがいる。ひどく興味が湧いて、だけどそれは「いくら好きなジャニーズだからって、ぱっと話題作りのために書いた薄い小説なんだろうな」とかなりの偏見を持ったずいぶんひねくれた好奇心だった。
 さっそく父に買ってきてもらい、夜ベッドの上でページをめくる。最初のページから目を見開いて無我夢中で読んでいった。たくさんの言葉が脳に刻まれていって手が止まらなかった。そして最後の1行を読み終えて、思わず「なんだこれ」と発していたのだ。なんだこれ。わたしが今まで読んできたどんな本とも違う、圧倒的な世界観。美しいセリフ。あまりの衝撃にすぐにもう一度最初から読み返した。今度はゆっくり、1文を味わって。その日わたしはなかなか眠ることができなかった。
 まず目を惹かれたのは章のタイトルだった。普通より少し多く分けられた章とばらばらな年齢、そしてすべて飲み物の名前。わたし自身も拙いながら小説を書く身であるので分かるのだが、目次だけで興味を持たせるのはかなり難しい。だけど彼は見事にそれに成功していた。そして最終章の年齢は「27歳と139日」。どうして?と読者の中に小さな疑問が生まれて、つられてページをめくってしまう。
 そしてラストシーン。ハッピーエンドで溢れかえるこの世界だし、芸能人が書いたならなおさらうけのいい幸せな結末で終わると思っていたわたしの予想が見事に裏切られた。ごっちが自殺してから物語はどんどん暗闇に包まれていく時点で予兆はあったけれど、ここまで不穏な終わり方だとは。りばちゃんの生死はわたしたちに委ねられていることがたまらなくずるいなと思った。もちろん良い意味で。これはいわゆるメリーバッドエンドなのだろうか。誰が幸福で誰が不幸の?
 彼はごっちとして首に縄をかけて楽園を見る。カラフルで騒々しく、愛する人に囲まれた幸福な幻想。垣間見た2人にとっての天国。乗り移ってくるごっちの亡霊に飲み込まれたりばちゃんの歪んでいく様が、それを幸福だと信じたまま突き進んで物語と彼の人生は終わっていく。
 彼の文章の最大の特徴は「徹底的な美の追及」であることだとわたしは思う。独特の言い回しが見せる洋画のような美しいシーン。ここまで作者のこだわりがつまった小説はそうそうないと思えるほど、彼の美学が痛いほど透けて見える。胡蝶蘭アルビノ、カクテル、ワーカホリック。雑学が入り交じった綺麗なモチーフはきっと彼の頭の中に映像として瞬いていたのだろう。それらがスパイスのように各所に散りばめられていて、この小説をひとつの芸術作品のように美しいものにしている。
 そして対照的に、文体は綺麗でも温度がない。登場人物たちのなまなましい感情はほとんど描写されず、一定した俯瞰の目線で物語は語られている。あるいは蛇口を開けっ放しにしたままであるように、一筋の水が最初から最後まで流れているような。それはおそらく彼が世界が美しくあることを第一としたため、絵にならない人間の生臭さを排除したからだろう。どこまでも小綺麗で醜いものがひとつもない。これは当時暗闇にいてがむしゃらに書いたという作者の状況に少し矛盾すると思う。自分を重ね合わせて感情移入するからこそ、もっと心情が溢れて私小説っぽくなるのにそうではない。ぎりぎりの状態で書いたにも関わらずこんなにも世界観が不自然なほど美しいのは、彼に染み込んだ美への執念がまさったからだろう。彼はあくまでフィクションとして、閉じた世界をひたすら自分の美学に従って綺麗に完結することを選んだ。意地でも美しくあろうとする執念。わたしはここに、加藤シゲアキというひとりの人間を見たのだ。
 彼の小説はわたしの身体にひとつの雷を落としていった。純粋にひとりの読者として、この人の書く物語が好きだと強く思った。高校三年になった今、わたしはあの頃よりもっとたくさんの本を読んでいる。だけど『ピンクとグレー』を読んだ時のような強烈な衝動はあれきりだ。こんなにも心を揺さぶり、美しく、ヴィヴィッドな小説はあそらく後にも先にもこれきりだろう。こんなすごい本が当時23歳だった加藤シゲアキが2ヶ月で書いた処女作だなんて並外れた怪物だと思う。控えめに言って才能がありすぎる。もう完敗だ。
 彼のこだわりは小説にとどまらず、ソロ曲や演出にもかなり色濃く出ている。わたしたちは加藤シゲアキの作り出した夢のような世界に今日もまた囚われている。

 

 

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