第1回加藤シゲアキ作品読書感想文フェスティバル 作品公開について

 

もくじ

  1. ピンクとグレー(文庫)
  2. 傘をもたない蟻たちは(文庫)
  3. ピンクとグレー(単行本)
  4. 閃光スクランブル(文庫)
  5. 閃光スクランブル(文庫)
  6. 閃光スクランブル(文庫)
  7. ピンクとグレー(文庫)
  8. 閃光スクランブル(文庫)
  9. チュベローズで待ってる【AGE22・AGE32】
  10. だいじなもの
  11. できることならスティードで trip10 渋谷
  12. ピンクとグレー(文庫)
  13. できることならスティードで trip9 スリランカ
  14. 閃光スクランブル(文庫)

 

 

当企画へ寄せて頂いた全感想文を公開させていただきます。

この度はお忙しい中、心のこもった素敵な感想文をお寄せくださりありがとうございました!!

  

(企画概要)

shigebookfes.hatenablog.jp

ピンクとグレー(文庫)

狂気と愛」 こそうの

 

狂おしい。この本を一言で表すのならばこの言葉でしか有り得ない。その狂気は愛であったり、熱であったり、後悔であったり僻みであったりと様々だ。でもこの本のそんな狂気はたまらないくらいに、曖昧ではなく澄み切っていて混じり気のない。

欲望や、嫉妬やドロドロとした感情が前半を渦巻く。しかし本のタイトルの通りに鮮血や漆黒に、途中で垂らされる白。世界はかわり色がかわる。主人公の目にはどれだけのものが変わってしまったのだろう。彼ががむしゃらに進み続ける姿は美しい。まるで赤や黒が白になるとでも信じていて、染め直そうとしているのではないかとそんなことを疑ってしまう。
しかし、どれだけいってもピンクとグレーにしかならない曖昧さがこの本の醍醐味であり切なさの境地である。
しかし、あの、ラストシーンだけは白色であったのではないのだろうか。
その先の色はわからない。狂おしいくらいのがむしゃらさの先の色。その色は曖昧なままでいいと私は思っている。
私はりばちゃんが狂おしいくらいに悲しい。ごっちが狂おしいくらいに憎らしい。ふたりの関係が、ふたりのことが狂おしいくらいに愛おしい。
そして読むタイミングで感想や感じ方は曖昧な2色のように変化する。ピンクが濃い日、グレーが濃い日。狂気と愛のバランスは読むタイミングによってバラバラだ。だからこそ、何度でも楽しめるこの作品が私は狂おしいくらいにだいすきだ。

 

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傘をもたない蟻たちは(文庫)

インターセプト、そして、プレイコール。」 まろまゆ

 

「わたしのことは捨てないでね。」
 林が捨ててきた物で形成されてきた部屋を前に、安未果は華麗にタッチダウンを決める。戦慄する林を抱きながら、彼女はきっと、恍惚の表情を浮かべている。予想外の展開に立ち尽くすクォーターバックとざわめく黄色いタオルをよそに、彼女は穏やかにその幸せを噛みしめているだろう。私は安未果のその母性と少女性が、とても羨ましい。
 アメリカンフットボールの形勢逆転プレー、「インターセプト」はとてもセンセーショナルなプレー。オフェンスチームの投げたパスをディフェンスチームが奪い、一気に攻守を逆転させる。それまでオフェンスがどんなに計算し好プレーをたたき出していたとしても、インターセプトされれば一瞬で努力は水の泡。そんなインターセプトをモチーフに組まれた構成に気を取られがちであるけれど、安未果の人物描写はとても魅力的に描かれている。高校三年生の冬、たまたま見たスーパーボウルに映り込んだ林に運命的な恋をして、好きな人について調べて、計画を立てて、林を手に入れるために自己プロデュースをする。なんて健気で一途な子であろうか。林を知る手段が、過剰なFace bookの精査だったり、尾行だったり、ゴミ漁りだったりと、ほんの少しスタンダードから逸脱はしているけれど、林のために6年の歳月を費やした。文字通り“林のために生きた”。近づく手段に多々問題はあれど、そのモチベーションの堅持と純粋さは称賛に価する。
 安未果が恋した林は、知れば知るほど軽薄な人物だ。結婚相手にしろ、安未果にしろ、結局相手を欲する最大の理由は“名誉”であるし、心理学本を安直に実行に移し、“へたっぴ”なミラーリングを得意げに披露してしまう。せっかくバーにいるのに、「彼女の瞳は相変わらず冷め切ったブラックコーヒーのようだった。しかし俺は負けじと、温かいミルクティーのような眼差しを彼女に向け続ける。」と、カクテルではなくコーヒーとミルクティーで状況を描写してしまうほどセンスが無いし、ひどく拙く、ノーマルで面白みにかける、独りよがりなセックスをしてしまう。
 しかし安未果は、林の、このようなある意味非常に健全な少年性に軽蔑するどころか、全てを愛している。「これ以上何かを望むとばちが当たってしまいます。」と、謙虚に、しかし幸福そうに彼を受け入れている。普通であれば幻滅し、友人からそんな男やめときな、と言われてしまう林をロマンティックな恋となるよう導く、とんでもない懐の深さである。私自身、結婚して7年ほど経つが、どんなに好きな相手でもやはり相容れない部分はあるし、自分の思い通りに動いてくれたらいいのに、とお互いの想いと思惑がぶつかることもある。それは他人と生きていくうえでは避けられない現象だ。
 一方、
安未果は林を決して自分の色に染めようとはしない。林を手に入れるために自分が敷いたレール上を走らせはするが、林のアイデンティティ自体には干渉しない。見覚えのある、かつての自分の所有物に囲まれ、「わたしのことは捨てないでね。」などと言われた林は背筋が凍っただろうが、きっと安未果と生きていく人生は彼にとって非常に幸せなものとなるはずだ。全てを肯定し、受け入れられ、立ててもらい、道を標してもらえる。林は読み取れる性格から、おそらくアメフトでのポジションは試合の主導権を握りたいクォーターバック。そんな彼に、綿密かつ的確な指示ができるヘッドコーチとして、安未果は最適な人物である。きっと安未果はこれからの人生を、気持ちよくプレーさせてくれるだろう。
 安未果のこの林への思いは非常に利己的ではあるが、安未果と林の人生をとても美しくデザインしている。インターセプトしたボールをエンドゾーンの鮮やかな芝に置いた後、きっと彼女は乱れる黄色いタオルをもいとおしく見つめるのだろう。この試合は、すべて安未果の手の中にある。

 

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ピンクとグレー(単行本)

曖昧な世界の中で」 かの

 

 初めて『ピンクとグレー』を読んだ時の衝撃を今でも覚えている。
 当時中学1年生だったわたしはNEWSを好きになったばかりの頃だった。わたしは彼のファンである前にかなりの読書家で、毎日図書館や本屋に通うくらい毎日が小説で満たされていた。そんな中好きになったNEWSに本を書くメンバーがいる。ひどく興味が湧いて、だけどそれは「いくら好きなジャニーズだからって、ぱっと話題作りのために書いた薄い小説なんだろうな」とかなりの偏見を持ったずいぶんひねくれた好奇心だった。
 さっそく父に買ってきてもらい、夜ベッドの上でページをめくる。最初のページから目を見開いて無我夢中で読んでいった。たくさんの言葉が脳に刻まれていって手が止まらなかった。そして最後の1行を読み終えて、思わず「なんだこれ」と発していたのだ。なんだこれ。わたしが今まで読んできたどんな本とも違う、圧倒的な世界観。美しいセリフ。あまりの衝撃にすぐにもう一度最初から読み返した。今度はゆっくり、1文を味わって。その日わたしはなかなか眠ることができなかった。
 まず目を惹かれたのは章のタイトルだった。普通より少し多く分けられた章とばらばらな年齢、そしてすべて飲み物の名前。わたし自身も拙いながら小説を書く身であるので分かるのだが、目次だけで興味を持たせるのはかなり難しい。だけど彼は見事にそれに成功していた。そして最終章の年齢は「27歳と139日」。どうして?と読者の中に小さな疑問が生まれて、つられてページをめくってしまう。
 そしてラストシーン。ハッピーエンドで溢れかえるこの世界だし、芸能人が書いたならなおさらうけのいい幸せな結末で終わると思っていたわたしの予想が見事に裏切られた。ごっちが自殺してから物語はどんどん暗闇に包まれていく時点で予兆はあったけれど、ここまで不穏な終わり方だとは。りばちゃんの生死はわたしたちに委ねられていることがたまらなくずるいなと思った。もちろん良い意味で。これはいわゆるメリーバッドエンドなのだろうか。誰が幸福で誰が不幸の?
 彼はごっちとして首に縄をかけて楽園を見る。カラフルで騒々しく、愛する人に囲まれた幸福な幻想。垣間見た2人にとっての天国。乗り移ってくるごっちの亡霊に飲み込まれたりばちゃんの歪んでいく様が、それを幸福だと信じたまま突き進んで物語と彼の人生は終わっていく。
 彼の文章の最大の特徴は「徹底的な美の追及」であることだとわたしは思う。独特の言い回しが見せる洋画のような美しいシーン。ここまで作者のこだわりがつまった小説はそうそうないと思えるほど、彼の美学が痛いほど透けて見える。胡蝶蘭アルビノ、カクテル、ワーカホリック。雑学が入り交じった綺麗なモチーフはきっと彼の頭の中に映像として瞬いていたのだろう。それらがスパイスのように各所に散りばめられていて、この小説をひとつの芸術作品のように美しいものにしている。
 そして対照的に、文体は綺麗でも温度がない。登場人物たちのなまなましい感情はほとんど描写されず、一定した俯瞰の目線で物語は語られている。あるいは蛇口を開けっ放しにしたままであるように、一筋の水が最初から最後まで流れているような。それはおそらく彼が世界が美しくあることを第一としたため、絵にならない人間の生臭さを排除したからだろう。どこまでも小綺麗で醜いものがひとつもない。これは当時暗闇にいてがむしゃらに書いたという作者の状況に少し矛盾すると思う。自分を重ね合わせて感情移入するからこそ、もっと心情が溢れて私小説っぽくなるのにそうではない。ぎりぎりの状態で書いたにも関わらずこんなにも世界観が不自然なほど美しいのは、彼に染み込んだ美への執念がまさったからだろう。彼はあくまでフィクションとして、閉じた世界をひたすら自分の美学に従って綺麗に完結することを選んだ。意地でも美しくあろうとする執念。わたしはここに、加藤シゲアキというひとりの人間を見たのだ。
 彼の小説はわたしの身体にひとつの雷を落としていった。純粋にひとりの読者として、この人の書く物語が好きだと強く思った。高校三年になった今、わたしはあの頃よりもっとたくさんの本を読んでいる。だけど『ピンクとグレー』を読んだ時のような強烈な衝動はあれきりだ。こんなにも心を揺さぶり、美しく、ヴィヴィッドな小説はあそらく後にも先にもこれきりだろう。こんなすごい本が当時23歳だった加藤シゲアキが2ヶ月で書いた処女作だなんて並外れた怪物だと思う。控えめに言って才能がありすぎる。もう完敗だ。
 彼のこだわりは小説にとどまらず、ソロ曲や演出にもかなり色濃く出ている。わたしたちは加藤シゲアキの作り出した夢のような世界に今日もまた囚われている。

 

 

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閃光スクランブル(文庫)

「NEWSを好きになったなら」 まみりあ

 

2013年春にNEWSを好きになって、まずしたことが「ピンクとグレー」、「閃光スクランブル」を読むことでした。 主人公の気持ちに入り込む傾向の強い私には「ピンクとグレー」は苦しくて読むのが大変で、なかなか読み進められなかった作品です。 次もこんな苦しい作品かなぁと読み始めた「閃光スクランブル」。 映画みたいな展開にどんどん読み進められました。 亜希子と巧が徐々にお互いの過去を知っていき、それを話す事で縛られていたモノから解放されたような様子の表現がとても好きで何度も何度も読み返しています。 また、作品の中に出てくる、ピチカートファイブの『東京は夜の七時』、『ハッピーサッド』が気になり、聴きながら読み返してみました。 曲も野宮真貴さんも好きになったので作品の中の登場人物になったような気分です。 NEWSの加藤シゲアキさんだからこそ書ける『閃光スクランブル』。 NEWSを好きになったなら1度は読んで欲しい作品です。

 

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閃光スクランブル(文庫)

-文字の世界で実現した圧倒的映像エンターテイメント作品-

Eto

 

閃光スクランブル」をこう表現すると違和感を覚える人もいるかも知れない。
アイドルが描く「アイドルの世界」
芸能界にいるものが描く「スキャンダルの世界」
それがこの作品の醍醐味とされやすい。
たしかに主人公とヒロインを取り巻く環境は前述そのものだし、ヒロインのアイドルとしての立場や主人公の前を向くことを拒否した故の葛藤など、ストーリーを構成する要素も魅力的で引き込まれる。
しかし、終盤のスクランブル交差点のあのシーン。その瞬間に来た時にまさしく閃光のごとく映像が脳内にフラッシュする。
この作品の映像化を希望する者なら、あのシーンだけは自分で撮ってみたいと思うだろうし(少なくとも私は)、そして誰が撮ってもきっと同じような物になるだろう。
つまり、文章だけで人に寸分違わぬ映像を植え付けることに成功したのではないかと考えたのだ。
それを可能にした確かな筆力とストーリー構成。それが見事で、読んでから時が経てば経つほど身震いする。(そして宣伝用ポスターのイケぶりにこの子が書いたの!?といつも二度見する)
映像時代に入って小説は変わった。
文章であっても視覚化されることが当然となってきている。
読者は文を読みながら映像を頭の中で浮かべ、主人公たちの動き、表情を推測しストーリーを浮かべる。
昔、視覚化がうまいと言われている作家がいた。
彼曰く、自分は映像世代の人間だから、どうしてもそういう感じになってしまうと(昔過ぎてニュアンスですみません)
加藤シゲアキにしても、映像の世界に身を置いている。しかも月に何本も映画を観ていた時期もあると聞く、その彼が書く小説なのだから、視覚化的なのは当然なのかもしれない。
ただ、このシーンはその場面を上手く描いただけではない。そのシーンを読者が脳内にフラッシュさせるように色んな仕掛けが小説の随所にされているのだ。
まず主人公がカメラマンであると言うこと。
彼がスキャンダル専門のカメラマンであること。
その彼が色をなくしていると言うこと。
ヒロインがアイドルであると言うこと。
彼女の魅力はどこか静かでミステリアスな大人ぽさだと言うこと。
その二人の交差から物語は始まる。
古傷を無視し、前へ進もうとするヒロイン。
前を見ているようで、過去に縛られ、がむしゃらに動いているようで動けない主人公。
彼を象徴する写真家が一瞬を切るとるフォトグラファー アンリ・カルティエ=ブレッソンであること。
そして幸せの一瞬を切り撮ろうとした先の最愛の人たちの死。
主人公もヒロインも不相応だと、幸せになることに背をむけている一方で、誰よりも救われたいと願っている。
ストーリーが進む中で、読者は一緒になって二人の再出発を切望するようになる。という構成が見事に描かれている。
止まった時が動き出す瞬間。
誰にも理解されなくても二人には大切な一瞬。
その中に一緒にいる気持ちが、あのラストの交差点の閃光のイメージとなってあらわれたのだろう。
そして進み出す主人公とヒロイン。
そして我々読者も、なにかで止めていた「時」が動き出す気分にさせてくれる。そんな作品であった。。

 

 

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閃光スクランブル(文庫)

色と共に生きること」 りんりん

 

著書の読み終わりに感じたことは、嫌味な程にカラフルで眩いことでした。私がこの作品の中で最も注目しているのは主人公である巧の色彩感覚がないという点です。白黒の世界に閉じこまれてしまい、死んだように生きている巧。それとは対に感じてしまうほどの著書のストーリーの持つ独特の疾走感と映像感がとても濃いものだと思うのです。加藤シゲアキ作品に共通しているとも言えるこの読んでる時に流れる頭の映像。これが凄くカラフルなのです。夏休みの青い空。スクランブル交差点を行き交う人々と洗礼された存在であるゆうあ。巧が色彩感覚を失う前には自然のカラフル青春群像劇特有の鮮やかさが特徴として捉えられます。巧が色彩感覚を失った後にも巧がファインダー越しに見ていた世界もまた眩い色彩で溢れているものでした。
この白黒とカラフルの両極端を描くことで読み手にも疾走感を与え、ある意味で叙情性を持たせることでその極端の幅が広がり生と死の存在を考え持つ事ができました。

 

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